末期の水について
末期の水は、仏教における大事な葬送の儀式です。その由来のひとつに仏教の経典に記されている「お釈迦様の入滅に関する故事にちなむ」という説があります。お釈迦様の入滅に関する故事というのは、お釈迦様は亡くなる直前に弟子に喉が渇いたので水をとってきて欲しいと頼みますが河の水が濁っていた為に弟子はお釈迦様に我慢して下さいと伝え、その際に雪山に住む仏道に篤い鬼神が現われ鉢にくんだ浄水を捧げました。お釈迦様はその水を飲み安らかに旅立つことができました。この事から、お釈迦様と同じように安らかに旅立って欲しいという願いを込め亡くなった方の口に水を含ませるという儀式が生まれたとされています。
この他にも、故人に生き返って欲しいという願いを込めて行ったという説や、神道で死者の穢れを清めるために行ったという説もあります。いずれにしても、長い歴史の中で日本人の生活に深く根付いた儀式であるといえるでしょう。
※浄土真宗ではあの世では苦しみがないとする為、末期の水を行うことはありません※
末期の水の行い方や注意点について
ここからは末期の水の手順についてお伝え致します。※厳密には宗旨宗派や地域によって差もありますのでその都度確認するようにして下さい。
一般的な末期の水の手順として、まずは箸を用意しその先に脱脂綿(地方によっては脱脂綿ではなく鳥の羽・菊の葉を使う場合もある)を巻き白い糸で縛りつけて固定します。また、箸ではなく新しい筆をおろして使う場合もあります。次に、お椀に水をくんで、そこに先ほどの脱脂綿などを付けて湿らせ、準備ができたら故人との血縁などの関係性が深い順に故人の口に当てていきます。この際の順番としては、まずは配偶者が行い、それから子ども・親・兄弟姉妹・子どもの配偶者・孫・従兄弟・従姉妹や叔父叔母などその他の親族という序列になるのが一般的です。ただし小さな子どもまで無理に末期の水をさせる必要はありません。また病院や葬儀社のスタッフからのアドバイスがあればそちらに従うようにしましょう。
口への当て方については、まず上唇の左から右になぞるように動かし次に下唇の左から右に、同じように当てていきます。水を含ませるという儀式だといっても、無理やり口の中に入れたりするのはマナーに反しますので、唇の表面を軽く濡らすだけで十分です。その場にいる全員がやり終えたら故人の顔をきれいに拭いて終了します。顔の拭き方は、まずはおでこからきれいにしてあげましょう。唇を濡らしたときと同じように、左から右へと優しく拭いていきます。次に鼻の部分を上から下に拭きおろし、最後に顎のまわりを左から右に拭いていきます。そして顔を拭きながら「お疲れ様でした」など、故人に気持ちを込めて声をかけてあげましょう。
末期の水を行うタイミングについてですが元来、末期の水は臨終の直前に行うものとされていました。これには「のどを潤すことで苦しみを軽くして安らかに旅立って欲しい」という見送る側の気持ちが込められています。更に、医学の発展が未熟な時代には喉ぼとけの音や動き、水がのどを通っているかどうかを見て生死を判断していた可能性もあるようです。しかし医学が発達した現在では、医師から臨終を告げられた後に行われるようになっています。病院では医療スタッフの方で末期の水を誘導してくれることが一般的です。
末期の水を行う場所や準備についてですが、医師から臨終の宣告を受けたらその場で末期の水の儀式に移ります。流れとしては、末期の水・清拭・湯灌・死化粧という順番です。病院の場合は医療スタッフの指示に従い進行をお任せしましょう。病院によってはケア担当の専門スタッフがいる場合もあります。自宅で亡くなった場合や病院から自宅に移して儀式を行う場合は、葬儀社や訪問看護師の力も借りて行うことになります。末期の水は可能な限り多くの近親者で行う方が望ましいとされているので、臨終の場に間に合わなかったご家族がいた場合には全員が揃うのを待つケースもあります。